☆ それぞれの1年間・・・
先日の9月27日の日曜日は、母の一年祭と祖母の十年祭だったので、
私は前日の土曜日の夜から千葉の生家へ帰った。
土曜日の朝からの授業は火曜日のモチーフセットをしなくて良い以外は、
担当助手さんもモデルさんも昨年と全く同じだったので、
私はちょうど一年前を思い出し少し不思議な気持ちになった。
仕事を終え自宅に帰ると、長距離運転に備えて
私は珈琲を飲んでから少し休んだ。
前日の金曜日の車検の際にエンジンオイルを綺麗にしたせいか、
私のオンボロ車の調子は絶好調だったが、
秋雨で路面は濡れているし、
溝はまだ有るとはいえタイヤはさすがに古いので、
私はスピードは出さずに夜の高速道路を故郷へ向かった。
途中、幕張PAで休憩を兼ねて軽い夕食を摂った。
実家に着くと門は開いていた。一旦車を降りて門を閉め、
車を前庭の隅に停めたのが22:00をほんの少し過ぎた頃であった。
実家の居間では父がマッサージ機を動かしたままスヤスヤと寝ていた。
座敷と中の間の仕切り戸はお盆の時と同じように外されていた。
私は祖父母と母の遺影を観ながら先祖代々の位牌に線香をあげて居間に戻った。
タイマーが作動してマッサージ機が止まっても父はそのまま寝ていたので
自然に起きるまで私はビールを飲みつつ父の寝息を聴きながら時間を過ごした。
22:50頃に父は目覚めて近くに私がいることに驚いていた。
父は私と少しだけ翌日の話をした後、二階の寝室へ上がってしまった。
おそらく二階の私の部屋も空いているのだろうが
義姉の用意してくれた布団を敷いて私は居間で寝た。
雨の中の長距離運転の疲れとビールのアルコールのせいか、
途中で目覚めることもなく私は朝まで熟睡した。
目覚めた私は義姉の用意してくれていた朝食を食べ、
入浴してから喪服に着替えた。
昨夜、前庭の隅に停めた車を裏庭へ回した。
先に起きていた父は玄関を掃除しながら
『今日は雨が降ってるから追加の傘立てを運ばなければな~』と
義姉と話していた。
座敷にあるやたら重たい座卓を男四人で居間に運んだ後で、
参列者49人分の座布団と足の不自由な方の為の椅子を家族で並べた。
雨のせいか湿度が高く感じられたので、
一度しまった扇風機二台を念のため長兄と座敷に運んだ。
神事が始まるのは11:00からだったが、
10:00過ぎには参列者が見え始め居間はすぐに一杯になり、座敷へ溢れた。
義姉と姪はお茶出しで忙しく動いていた。
その後、滞り無く神事が終わり300m程離れた奥都城にお参りに行く時にも
まだ雨が降っていたので、家族だけで傘をさして歩いて向かった。
その中には今春結婚した長兄の長男のお嫁さんもいた。
私達が生家へ戻ると神事に参加して下さった方達は既に
マイクロバスで昼食会場へ向かわれていた。
私は姪のミニクーパーに乗せてもらい会場へ向かった。
私が19歳の時に生まれた姪が隣りで車を運転している現実は、
時の流れの早さを否が応でも私に実感させた。
会食を始める献杯前の挨拶をした時の父の声の音は少し高く、
それは父が緊張した時にしか出さない声だった。
この場で文字にすることは出来ないが、
母が他界してからこの一年の父の気持ちを知った時、
私は少しの間、目が見えなくなった。
こんな父に看取られ、きっと母は人生の最期の瞬間まで幸せだったのだと私は思った。
車を運転するので私は会食でお酒は飲まなかった。
会食会場からの帰りは、助手席に座った大学生の甥に、
父のプリウスのエンジンの掛け方を教わりながら、
立場上飲酒せざるを得なかった長兄を実家まで送った。
その後は神事を執り行って下さった神主さんを神事の道具と共に神社までお送りすることになった。
神主さんの指示のまま、子供の頃の遊び場だった神社の中に生まれて初めて車で入った。
久しぶりの金刀比羅神社にはとても大きな赤い鳥居が建てられていて驚いた。
遠い親戚でもある神主さんに本日のお礼を言って帰宅した時には
昨夜からの雨はすっかりあがっていて、天には所々に青空が見えた。
その時、私は今日の父の言葉と元気だった頃の母の笑顔を思い出した。
私は前日の土曜日の夜から千葉の生家へ帰った。
土曜日の朝からの授業は火曜日のモチーフセットをしなくて良い以外は、
担当助手さんもモデルさんも昨年と全く同じだったので、
私はちょうど一年前を思い出し少し不思議な気持ちになった。
仕事を終え自宅に帰ると、長距離運転に備えて
私は珈琲を飲んでから少し休んだ。
前日の金曜日の車検の際にエンジンオイルを綺麗にしたせいか、
私のオンボロ車の調子は絶好調だったが、
秋雨で路面は濡れているし、
溝はまだ有るとはいえタイヤはさすがに古いので、
私はスピードは出さずに夜の高速道路を故郷へ向かった。
途中、幕張PAで休憩を兼ねて軽い夕食を摂った。
実家に着くと門は開いていた。一旦車を降りて門を閉め、
車を前庭の隅に停めたのが22:00をほんの少し過ぎた頃であった。
実家の居間では父がマッサージ機を動かしたままスヤスヤと寝ていた。
座敷と中の間の仕切り戸はお盆の時と同じように外されていた。
私は祖父母と母の遺影を観ながら先祖代々の位牌に線香をあげて居間に戻った。
タイマーが作動してマッサージ機が止まっても父はそのまま寝ていたので
自然に起きるまで私はビールを飲みつつ父の寝息を聴きながら時間を過ごした。
22:50頃に父は目覚めて近くに私がいることに驚いていた。
父は私と少しだけ翌日の話をした後、二階の寝室へ上がってしまった。
おそらく二階の私の部屋も空いているのだろうが
義姉の用意してくれた布団を敷いて私は居間で寝た。
雨の中の長距離運転の疲れとビールのアルコールのせいか、
途中で目覚めることもなく私は朝まで熟睡した。
目覚めた私は義姉の用意してくれていた朝食を食べ、
入浴してから喪服に着替えた。
昨夜、前庭の隅に停めた車を裏庭へ回した。
先に起きていた父は玄関を掃除しながら
『今日は雨が降ってるから追加の傘立てを運ばなければな~』と
義姉と話していた。
座敷にあるやたら重たい座卓を男四人で居間に運んだ後で、
参列者49人分の座布団と足の不自由な方の為の椅子を家族で並べた。
雨のせいか湿度が高く感じられたので、
一度しまった扇風機二台を念のため長兄と座敷に運んだ。
神事が始まるのは11:00からだったが、
10:00過ぎには参列者が見え始め居間はすぐに一杯になり、座敷へ溢れた。
義姉と姪はお茶出しで忙しく動いていた。
その後、滞り無く神事が終わり300m程離れた奥都城にお参りに行く時にも
まだ雨が降っていたので、家族だけで傘をさして歩いて向かった。
その中には今春結婚した長兄の長男のお嫁さんもいた。
私達が生家へ戻ると神事に参加して下さった方達は既に
マイクロバスで昼食会場へ向かわれていた。
私は姪のミニクーパーに乗せてもらい会場へ向かった。
私が19歳の時に生まれた姪が隣りで車を運転している現実は、
時の流れの早さを否が応でも私に実感させた。
会食を始める献杯前の挨拶をした時の父の声の音は少し高く、
それは父が緊張した時にしか出さない声だった。
この場で文字にすることは出来ないが、
母が他界してからこの一年の父の気持ちを知った時、
私は少しの間、目が見えなくなった。
こんな父に看取られ、きっと母は人生の最期の瞬間まで幸せだったのだと私は思った。
車を運転するので私は会食でお酒は飲まなかった。
会食会場からの帰りは、助手席に座った大学生の甥に、
父のプリウスのエンジンの掛け方を教わりながら、
立場上飲酒せざるを得なかった長兄を実家まで送った。
その後は神事を執り行って下さった神主さんを神事の道具と共に神社までお送りすることになった。
神主さんの指示のまま、子供の頃の遊び場だった神社の中に生まれて初めて車で入った。
久しぶりの金刀比羅神社にはとても大きな赤い鳥居が建てられていて驚いた。
遠い親戚でもある神主さんに本日のお礼を言って帰宅した時には
昨夜からの雨はすっかりあがっていて、天には所々に青空が見えた。
その時、私は今日の父の言葉と元気だった頃の母の笑顔を思い出した。
冠婚葬祭
こんな時しか、家族や親せきが集まりません。
最近は、親戚も高齢になり、内輪ですまします。
by iruka (2015-10-04 07:35)
irukaさん
確かにそうですね!
今回は祖母と母の法事が重なったので
お陰様でたくさんの方に会えました。
irukaさんいつもありがとうございます。
by はぎぽん (2015-10-06 17:20)