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☆ 八月最後の雲と星の王子様と人狼ゲーム

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箱根登山鉄道3写真1.43m.jpg

木漏れ日坂写真1.43m.jpg

 関東甲信越でも酷暑が一旦収まり、夜はエアコンも要らなくなった8月26日の朝から
私は喉が痛くなり、ビールもタバコも美味しいと思えなくなっていた。
夜には唾液を飲むだけで喉を激痛が走った。
寝る前に生姜と蜂蜜を入れた紅茶を飲んだり、風邪薬を飲むとしばらくは喉の痛みが和らぐので、
翌日にも病院へは行かず安静にしていたが、二日過ぎても喉の痛みは収まらなかった。
夕方マツキヨの薬剤師に症状を相談すると、
その症状は扁桃腺から既にリンパへ炎症が廻っているから、
病院で貰える抗生物質でないと速効性はないとのことだったが、
とりあえず市販の扁桃腺の痛み止めを購入して服用した。

翌日の8月の最後の日からは2泊3日で絵画と日本画の合同ゼミ合宿で箱根の仙石原へ向かった。
箱根に行くのは12年ぶりだった。新宿駅南口に集合しロマンスカーで箱根湯本へ向かう。
ロマンスカーに乗るのは学生の時以来20年ぶりだろうか。
今は八丈島にいる友人と学生時代に伊豆の宇佐美や神子元島でダイビングをした後、
小田原から町田までロマンスカーでアイスコーヒーを飲みながら、
当時住んでいた相模原の橋本へ帰宅した時の事を思い出していたら、
ちょうど車内販売が廻って来たので思わずアイスコーヒーを購入した。
アイスコーヒーの味も容器も当時とは変わっていた。

箱根湯本に着くとちょうど昼だったので、炙り金目鯛と小アジの押し寿司弁当を購入し、
引率の先生方と駅のすぐ脇を流れる河原で食べた。食後に扁桃腺の痛み止めの薬を服用した。
川にはたくさんの魚が泳いでいるのが見えた。
その後、箱根登山鉄道で強羅駅へ向かった。私は引率の先生の1人と一番後ろの席に座ったが、
急坂を登る為のスイッチバックで何度か先頭車両になると、鉄道マニアの気持ちが理解出来た。
思わず何度もカメラのシャッターを切ってしまった。
終点の強羅駅からは路線バスで木漏れ日坂を通り仙石原へ向かった。
仙石原にある大学のセミナーハウスは星の王子様ミュージアムのすぐ近くにあった。
セミナーハウスに荷物を置き、夕食までの自由時間は各自セミナーハウスの周辺へ
スケッチへ向かった。

私は星の王子様ミュージアムは以前見学したことがあったので、
入り口のモニュメントをメモ程度にスケッチしていたら、
他の観光客が覗き込んで来たので早々と切り上げ、周辺を散歩しセミナーハウスへ戻った。

セミナーハウスの温泉は硫黄の香りがして肌が少しピリピリする性質だった。
湯上がり後も身体がポカポカして来るので、夏ではなく冬に入りたいと思った。
喉の痛みは少しづつ良くなっているように思えた。

夕食はセミナーハウスとは思えないほど丁寧な味付けだった。
夕食の後は卒業制作についてのミーティングが行われた。
引率の先生方からそれぞれ卒業制作に向けての話があったので、
私も学生時代を思い出しながら、自分の場合はどんな気持ちで取り組んだかを話した。
ミーティング後の人狼ゲームでは私は三回とも市民役であった。
初めて最後まで殺されずに市民としての勝利の喜びを味わえた。

翌日はPOLA美術館を見学した後で強羅駅からモノレールに乗り
そのあとロープウェイで大涌谷へ向かった。
一個食べると7年寿命が伸びるという黒卵を二つ食べた。
極楽茶屋で赤池地獄の黒ラーメンを食べた。私は喉がまだ少し痛かったので辛さは弱めで注文した。
味は麺は黒いだけで腰が無く、スープも値段の割にはただ辛いだけであった。
その後は腹ごなしに大涌谷を登れる所まで登った。
その日は天気が良かったので遠くまで見晴らすことが出来た。
大涌谷ロープウェイ乗り場の二階のカフェてアイスラテを頼むと、
フリーパスのクーポンでビール以外は40%offとのことだった。

その後は一旦セミナーハウスへ戻ってから歩いて近くの腸詰屋へ行き、
チョリソーサラミとロースの生ハムを購入した後で、
早川を渡る橋の近くのLAWSONで夜の飲み会のお酒を買い出ししてからセミナーハウスへ戻った。
温泉に入り今夜も美味しい夕食の後は2日間のスケッチ講評だった。
学生は皆とても素敵なスケッチをしていて、卒業制作が楽しみになって来た。
この夜も昨夜に続き恒例の人狼ゲームを行い、一回目はやはり市民役であった。
二回目で初めての霊媒師役になった私は人狼役に人狼と疑われ、結局市民に殺された。

最終日は朝食の後、バスで強羅公園へ向かった。小雨が降っていた。
公園内の茶室は時間になっても開いていなかったので
カフェでCoffeeを引率の先生方と助手さんと飲んでしばらく過ごした。
その後も天候は雨の為、彫刻の森美術館へは行かずに箱根湯本駅でとろろ蕎麦を食べてから、
河原の見えるカフェでアイスチャイを飲んでゆっくり過ごした。

帰りのロマンスカーでも椅子を回転させて8人で人狼ゲームをしているうちに新宿駅に到着した。
結局最後まで私は人狼にはならなかった。
新宿駅から埼京線で池袋まで移動し、
地元駅まで方向が一緒の引率の先生と助手さんと3人で西武池袋線の急行に乗った。
帰宅し洗濯をしながらスライスしたサラミをつまみにビールを飲んだ時には
私の喉の痛みは消えていた。
ビールを二本飲んだ後で、冷蔵庫にあったゴーヤーとトマトと塩昆布でパスタを作って
サラミと生ハムを乗せて食べた。

箱根ゼミ合宿2014メモより

パスタ写真.JPG

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☆ 時代変化の間隔展 2014日韓現代美術 

2014日韓展作品680幅.jpg

Tittle:  パラレルワールドの間隙 #0140621
Material:キャンバス・アクリル・ピグメント
Size:  318×410 (mm)

☆ 時代変化の間隔展 2014日韓現代美術
 
2014年6月23日(月曜日)-6月28日(土曜日)
12:00〜19:00 最終日〜15:00まで

GINZAギャラリー アーチストスペース
〒104-0061 東京都中央区銀座6丁目13−4
03-3546-6334
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☆ シからミへの線をたどると・・・

☆シからミへの線をたどると、あなたにもショパンの言いたかったことがわかる!

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/131104.html
「クラシック音楽には人を変える力がある」

ベンジャミンザンダーマインドマップ680のコピー.jpg


今でも僕が思い出すのは、気付いた時には既に目がしらから涙が溢れて頬を伝い、
その水分を温かく感じたあの瞬間だ。

それは、マインドマップの考案者のトニーブザンが究極の創造的マインドマップと絶讃して、
その著書の中でも現物を紹介している、ボストン交響楽団の指揮者の
ベンジャミン・ザンダーと言う名のおじいちゃんのプレゼンテーションを
日曜日の夜遅く(正確には月曜日の)にEテレで観ていた時のことでした。

マインドマップとは天才といわれる人達がどの様に思考しアイデアをノートにまとめていたかを研究した脳科学者のトニー・ブザンが提唱するノート術だが、単なるノート術なだけに様々な使用方法があり、私はマインドマップを就職活動の為の自己分析や未来予想図や作品のテーマを掘り下げたりするのに学生に描いてもらっていますが、
掲載した画像はベンジャミン・ザンダーがベートーベンの第九を指揮する為に描いた
究極の創造的マインドマップです。(トニー・ブザンの著書「ザ・マインドマップ」より)


さて、スーパープレゼンテーション「クラシック音楽には人を変える力がある」の内容は
クラシック音楽やピアノ演奏だけでなく、お話もとても素敵で、
アイルランドの少年のこと、
ネルソンマンデラ大統領の思考のこと、
空を飛ぶ鳥には壁など関係無いこと、
成功の尺度や人生の価値のこと、
そしてアウシュビッツに収容された姉と弟が交わした最期の言葉のエピソードなど
心の栄養(それもとびきりの御馳走みたいな栄養!)を補給したような気持ちになりました。
こんな先生に音楽を習ったらみんなピアノを弾きたくなってしまいそう!
思わず、「私は何なの?」
「私のこれからの人生の線はどの様なものになり辿って行くべきなのだろか?」と自問自答しつつ、
どの様な線だとしても、眼を輝かした人に囲まれて過ごして生きて行きたいと思わずにはいられなくなりました。
クラッシック音楽にたとえ興味が無くても、
人と関わる事のある人なら何だか素敵な気持ちになれる、
そんなお話しとピアノ演奏の素晴らしいプレゼンテーションでした。




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☆ 多摩美術大学校友会 小品展2013

2013校友会展作品写真680.jpg

☆ クオリアの三重奏 キャンバス・アクリル・ピグメント

皆様いつもご訪問頂きありがとうございます。
本年も母校へ入学する学生への奨学金基金と東日本大震災への募金とするための
表記チャリティー展に小品1点ですが出品する予定です。

お近くにお越しの際はご高覧頂きたくお知らせ致します。

日程:2013年12月1日(日)~ 12月7日(土)
時間:10:00 〜 18:30(1日は15:00から/7日は17:00まで)
場所:文房堂ギャラリー 東京都千代田区神保町1-21-1
問い合わせ:03-5282-7941

経路詳細は右記の下部にて http://www.bumpodo.co.jp/company/#access
文房堂ギャラリー     http://www.bumpodo.co.jp/gallery/


日に日に寒さが増しますのでどうか皆様お身体ご自愛下さい。<(_ _)>



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☆ 土曜日の猫

猫小物写真500.jpg
☆前回記事、火曜日の猫、水曜日の猫の続きです。


その日は朝からヌードモデルのデッサンの授業だった。
数年前から来て頂いているお人柄の良いモデルさんだったので
ポーズの打ち合わせはスムーズだった。
1限目も2限目もポーズは素晴しく、学生も集中して作品を制作していた。
その地下の広いアトリエで午前の授業を終えた時、僕はとても驚いた。


火曜日に一緒に猫を病院へ連れて行った学生二人が、
その場にはいなかった同じクラスの学生一人との合計三人で、
当日現場にいた学生と協力して集めたカンパを封筒に入れて
「先生!これをあの三毛猫の治療費に使って下さい。」と持って来てくれたからだ。
僕は火曜日から治療費は全額払うつもりでいたので、前日から費用は用意しておいたのだが、
心優しい学生達の突然の申し出に、おもわず目頭が熱くなった。

少しの間考えたが、差額は学生に何か画材でもプレゼントすることにして、
僕は学生にお礼を言ってその封筒を受け取ることにした。

僕がお礼を言うと「先生を巻き込んじゃったのは私達ですから」とも言われてしまった。
(心の中で泣きました)

学生達が退室した後で、今回の事情を知った午前の授業を担当してくれている助手さんも
「先生、善い学生ですね!」と笑顔で言ってくれたので、僕はとても嬉しかった。
そのあと僕は助手さんと二人で二階の絵画研究室へ上がり、
昼食を食べてから午後の基礎造形の授業に望んだ。
午前とは別の新しい建物にある午前よりも広い教室での授業の課題は
「アッサンブラージュ作品」の制作だった。
36人の履修学生の中に1人、八角形の木の箱を作りたい学生がいたのが、
午後の授業を10年前から手伝ってくれている助教さんが
角度をつけて木材を削れるベルトサンダーを用意してくれたのでとても助かった。
今では彼女がいなければ僕の授業は成り立たない位の存在だ。
彼女のおかげで午後の授業も無事終え、研究室に戻り来週の授業の準備をしてから、
僕は火曜日に預けた、怪我をした三毛猫の様子を見るために
板橋区十条にあるペットクリニックへ向かった。
朝も出校する時に感じたが、火曜日に逃げる猫を保護するために学生達と動き回った路地は、
やはりあんなことでもなければ、決して立ち入らない空間だった。

僕はレモン色をしたあの目を見た階段下の暗闇の入口を
道路から見ずにはいられなかった。
あの時出て来てくれて良かった。おばあちゃんもありがとう。と心の中でつぶやいた。


土曜日の夕方のクリニックはとても混んでいた。
僕は火曜日に預けたまだ名前の無い三毛猫の診察券を出した。
座る場所もなくバックを手にしたまましばらく立って待っていると、
火曜日は見なかった看護婦さんが
「院長先生を待つ間に猫ちゃんにお会いになりますか?
二階におりますので、一旦外に出てすぐ左の引き戸を開けて
階段で二階にお上がり下さい。」と言ってくれたので、
言われた通りに外に出てすぐ左の引き戸を開けて、看護婦さんに続いて二階へ続く階段を上った。
上りきった所の右手のドアを開け、そのまた右手のドアを開けると、
小さな白い犬が僕の足下に寄って来て匂いを確かめ始めた。
僕は小さな白い犬に声を掛けながらその部屋の奥にゆっくり進んだ。


5番ケージの中にあの三毛猫はいた。

その他のケージにも猫はたくさんいたが、
僕が少し近寄っただけでミャーミャーと甘えた声を出すのは
火曜日に預けたレモンみたいな目をした小さな三毛猫だけだったので、
僕はなんだか嬉しかった。
三毛猫は僕がさらに近寄ると柵の間に必死に顔を擦り付けて
顔を触って欲しそうにするので、僕は指先をゆっくりのばして、
レモン色の目をした三毛猫の狭い額を優しく愛撫した。
しばらくの間、僕は再会を喜びながら、いろいろな言葉で話しかけたが、
その時何を猫に言ったかは、今ははっきりと覚えていない。
ただ僕が振り向いた時に、
僕をそこまで案内してくれた看護婦さんの瞳がかなり潤んでいたので、
なんだか少し恥ずかしく感じたことだけはしっかりと覚えている。
彼女はこの職場で何度もさまざまな場面に遭遇しているのかと思うと
僕の心には彼女に対し尊敬の念すら湧いて来た。

僕がその看護婦さんに三毛猫の怪我の回復状態をお聞きすると、
「食欲もありますし、だいぶ元気になりましたよ!」と言ってくれた。
彼女はケージを開けて三毛猫の後ろ足の間の怪我の状態も見せてくれた。
火曜日よりはだいぶ良くなっていることが、素人の僕の目にも理解出来た。
僕は「だいぶ元気になっていたので安心しました。ありがとうございました。」
とお礼を言って一階の待合室に戻った。

来た時は混んでいた待合室は、
僕が二階に上がって三毛猫と再会している間に動物の診察は順調に進んだようで、
細長いソファーに座ることが出来た。
待つ間、同じソファーに腰掛けていた、流暢に日本語を話すアメリカ人の女性に
「あなたは一人でどうしたの?」と話しかけられた。
僕は何故自分が一人でここにいるか簡単に事情を説明した。
「そうでしたか・・・」とアメリカ人の彼女は言った。
彼女は丸い目をした大きな黒っぽい猫を胸に抱いていた。
話によると殺処分される予定だったその猫をもらって来て育てているとのことだった。
彼女は「日本には殺処分されてしまう猫がたくさんいるのに、
日本人はなぜペットショップで猫を買うのか理解出来ない」と悲しそうに日本語でつぶやいた。
全くその通りだと思った。
今や子供の数よりもペットの数の方が多くなったのに、
命よりも経済優先の日本は未だペット後進国と思われても仕方が無い。
野良猫を保護して里親を見つける良心的なペットショップも、あることにはあるのだが・・・。


院長先生の説明では当初の1週間ではなく、
来週の土曜日頃まで入院した方が善いらしく、
その後も完治するまで通院出来れば理想だとのことだった。
とにかく治療費用はまだかかるようだったが、
とりあえず火曜日までの費用を学生達のカンパに助けられて清算した。

「病院に連れて来て、法律上は自分の猫だと自覚すると、自然と情が移ってしまいますね」
「私が引き取って面倒見てあげられれば善いのですがペット不可のマンション住まいなので・・・」
と僕がいうと、
真剣な眼差しで
「そのお気持ちは良く理解出来ます」と
院長は言ってくれた。
その後に院長は
「うちはこういう猫を助けるNPOもやっているので
そちらでも里親を探すだけ探してみます」と言って下さったので、
「私も探すだけ探しますが、どうか宜しくお願いします」と言って僕は病院を後にした。

僕は今度の火曜日に、一緒に助けた学生達と一緒に、
レモンのような目をした三毛猫に会いに行く予定だ。

7月6日土曜日の記憶より




☆最初の画像は大学院生の頃、バリ島のネカ美術館での展覧会へ出品した際、
真っ直ぐ伸びた尻尾のデザインに一目惚れして、現地で購入した木製の小さな置物。

檸檬レモン2写真500.jpg
☆甘えん坊で人なつこい小柄な三毛猫です。不妊手術済み。里親絶賛募集中!☆

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☆ 火曜日の猫、水曜日の猫

水曜日の猫写真500.jpg
僕が最後に記憶しているのは、僕の肩幅より少し広いだけの金属製の階段の裏側に出来た
薄暗い空間から僕を見つめる、少し怯えたような檸檬のような瞳だった。

その階段は一番下の一段だけは高さの分だけ隙間が空いていて、
僕を見つめる瞳の裏側から夏の夕方の光がわずかに射し込んでいた。

風通しが悪く湿度の高いその場所は、
その日のような巡り合わせがなければ決して僕が立ち入る事はなかったであろう、
他人の家の敷地内であった。

それは梅雨とは名ばかりで、東京は朝から晴天だった7月2日火曜日の夕方、
授業を終え職場から駅に向う帰宅途中に起きた出来事だ。

僕が校門を出て二十秒ほど歩いた時、右手のアスファルトの駐車場に顔見知りの学生が数人
しゃがみ込んで何かを心配そうに見つめていた。
その内の1人と目が合ったので、『どうしたの?』と声をかけながら覗き込むと、
そこには衰弱しきった三毛猫が横たわっていた。
前脚の片方を少しと、後ろ脚の間からは内臓のように見えるものが露出するほどの怪我をしていた。
どうやら心優しいその学生達は、その猫を保護したい様子だった。
三毛猫は最初僕が見た時は目を閉じていたが、声をかけると反応するように眼を開けた。
レモンのようなとても綺麗なその眼からは
「まだ生きたい」という意思が伝わって来たように思えた。
学生によると、その猫は最初ファイテンの白いネックレスを八の字にして二重にしたものを
首輪の代わりに着けていたとのことだ。
今はその白いネックレスは、苦しそうなその猫の首からは外されてアスファルトの上に
一つの輪になって置かれていた。
僕はアスファルトを触り温度を確かめた。うっすらと生暖かい温度だった。
今はそれ程には熱くなくても、今日の朝からの日差しを考えると
その猫が脱水症状になっているかもしれないと思い、
近くで目についた自動販売機でペットボトルに入った水を購入した。
売っていた水の銘柄は「いろはす」だった。
何も器がないので、キャップに水を注ぎ三毛猫の口元にそっと置いた。
猫は直ぐに興味を示したのだが水は飲まなかった。舌を伸ばす力もないようにも見えた。
乾いた鼻を湿らせてあげたら良いかも?と学生のひとりがつぶやいた。
別の学生は一番近くにある動物病院をスマートフォンで探していた。
その画面を見ると歩いて三分ほどの所に動物病院が表示されていたので、
僕は『その病院にこの猫を見てもらえるか聞いて来るから』と学生に伝えて
急ぎ足で病院へ向かった。
途中、別の大学の帰宅する学生の集団の流れを逆行しなければならず、
さすがに走る事は出来なかったが病院はすぐに見つけられた。
『こんにちは』と挨拶をしながら中に入り事情を説明したが、
その病院の先生は「今日はもう帰る時間だから申し訳ないけれど治療は引き受けられない」
とのことだった。
少し歩くがまだ開いている別の動物病院に連れて行ってはどうかと言われた。
では、違う病院に怪我をした猫をどう運べばよろしいでしょうか?と僕が尋ねると、
その女性の先生はダンボール箱に紙オムツのようなペットシートを敷いて渡してくれた。
僕はお礼を云ってダンボール箱を両手に抱えて、急ぎ足で猫の倒れている現場にもどった。
待っていた学生達に今行ってきた病院では断わられてしまったけれど、
別の動物病院を教えてもらえたからそこに運ぶしかないということを伝え、
横たわっている猫のすぐ横にダンボール箱をそっと置いたが、
さすがに猫自らは中には入ってくれなかった。
猫の扱いに慣れた学生が意を決して、優しく抱きかかえダンボール箱に猫をそっと移した。
猫は先程まではグッタリしていたが箱の中は嫌なようで外に出ようとした。
優しく箱の蓋を閉めたが、高さが足りないのでフタを斜めにした状態で空いている部分には、
バックから出したエスキースを描いてある画用紙を乗せた。
これで中が暗くなれば落ち着いてくれるかと思っていたら、
安心した我々の一瞬の隙をつき三毛猫は箱から出てしまい、
駐車している車の下の日陰に隠れてしまった。
通学路を見守るボランティアのおじさんが大学の校門にある警備員室に行けば
もう少し大きな箱があるかもしれないと教えてくれたので、
最初からその場にいた学生が急いで取りに向かってくれた。
その時、近所に住んでいると思われるおばあちゃんが車の下の猫を取り囲んでいる我々を見ながら、
ゆっくり歩いて通り過ぎようとしていたので、
『この猫の飼い主さんをご存知ないですか?』と聞いてみると、
この辺でたまに見かける猫との事だった。
おばあちゃんは『たぶん野良猫でしょう』と言いながら駅の方へ歩いて行った。
そんな会話をしているうちに、猫は車の下から出て
今度は道を挟んで反対側にある民家の塀の中に逃げこんでしまった。
怪我した猫を捕まえるためとはいえ、不法侵入は出来ないので困っていたら、
ちょうどそこの大家さんの連絡先を知っている住人が自転車で帰宅して来た。
その方に事情を話すとすぐに携帯で大家さんに電話をして下さり、
敷地内に入る許可を取ってくれた。
僕はその方にお礼を言ってから塀の内側に入り出来る限り猫に向かって歩いたが、
障害物があり手が届く距離までは狭くて近づけなかった。
その状況を知った先ほどスマートフォンで病院を探してくれた学生が必死の思いで
猫の後ろ側の塀を乗り越え猫の裏側にまわり、
塀の内側の狭い場所にいた猫をこちらに歩かせてくれた。
最初にダンボール箱に抱きかかえて入れた学生がまた箱に入れようとしてくれたが、
今度はわずかな隙間から近くにあった金属製の階段の一番下の隙間から
階段の裏側の暗い空間に入ってしまった。
階段の下の猫は、見える所にはいるけれどそこはどうしても人間の手は届かない距離だった。
万事休すだった。

塀を乗り越えた学生が何度も優しく出て来るように猫に話しかけたが、
猫は階段下の薄暗い空間からこちらを見ているだけだった。
我々が途方にくれていると、先ほど歩いていたおばあちゃんが歩いて戻って来た。
そのおばあちゃんは、偶然にもこの階段のある建物の所有者であった。
「この隙間は行き止まりですか?」と聞くと
「裏から回れるからこっちに入って来ていいよ!」と言ってくれた。
そこで僕は薄暗い空間から、僕を見つめる少し怯えたみたいな檸檬のような瞳を見たのだった。




階段裏の薄暗い空間で「向こう側に歩いて出て」と声を掛けながら僕が近づいた時、
三毛猫は逃げるのをあきらめたのか、ゆっくりと光の差し込む方へ歩き出してくれた。
どうやら薄暗い空間の向こう側では猫をそっと学生の誰かが抱きかかえて
新たに運んで来た大きなダンボール箱に優しく入れたようだった。
僕がおばあちゃんにお礼を言って道路に出た時には既に三毛猫は蓋を閉められた箱の中であった。
次の病院に電話をして事情を説明してから、
僕はこの出来事の途中で加わった学生達と一緒に両手でダンボール箱を抱えて病院へ向かった。
初めのうちは「みゃーみゃー」と鳴いていた猫は僕が箱を持って歩きだすと急に静かになった。
目的地の病院は最寄り駅を300mほど通り過ぎた住宅街の中だったので、駅の入り口のところで、
行き先の病院が決まったから用事があればこれで帰っても良いんだよ?と学生に伝えたが、
誰1人として帰ろうとはせずに病院までついて来てくれた。
学生達のその優しさが僕にはなんだかとても嬉しかった。

病院に入り受付の方に、「先程電話した者ですが・・・」と云うと、
「ではこの問診票に記入して下さい。」と言われた。

猫の名前?知らない。
猫の年齢?それも知らない。
怪我や病気の経過は?それも知らない。
でもその怪我をした三毛猫の今の飼い主は、法律上は僕になっていた。
生まれて初めて動物病院へ行き、問診票を書くことになったが
結局僕は自分の住所氏名と連絡先以外は書くことが出来なかった。
それ以上書き込むことが出来ない僕を察した受付の女性は、
「飼い主様の連絡先だけで結構ですよ」と言ってくれた。

診察の結果、風邪を惹いて衰弱した所を他の猫にいじめられたようだとのことだった。
不妊手術はしてあるので『地域猫だろう』との説明もあった。

ちいきねこ???
な・ん・で・す・か・それは???

地域猫の説明の後、治療と一週間の入院費の請求額は6万円程度になると院長先生からの説明が加わった。

保険が利かないと猫でもそんなにかかるのね!

その時の僕はそんな大金は持ち合わせていなかったのだが、
とにかく院長先生に怪我の治療をお願いし
内金として、とりあえず1万円を支払って学生達と病院の外に出た。

今度の土曜日にまた僕は猫に会いに行く予定だ。


水曜日の猫(ビール)を呑みながら、7月2日火曜日の記憶より。



続きは次のブログエントリー「土曜日の猫」にて・・・
レモン檸檬写真680.jpg

☆甘えん坊でとても人なつこい猫です。
殺処分ゼロをめざして、里親募集中!



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☆ 2013日韓現代美術 「感性共有の価値」展 

日韓展13作品680補正済.jpg


 Tittle:   集積するクオリア #0130614
 Material:キャンバス・アクリル・ピグメント
 Size:  318×410 (mm)

国家レベルではいろいろ難しい関係でも、画家個人のレベルでは末永く仲良くしたいと思いますので
小品ですが今年もチャリティー展に出品致します。

2013年6月24日(月)〜29日(土)
12:00pm〜7:00pm(最終日3:00pmまで)
東京都中央区銀座6-13-4長山ビル3F
GINZAギャラリーアーチストスペース

主催:極東亜細亜美術交流会/日本国際アートフェスティバル組織委員会
後援:駐日韓国大使館韓国文化院
協力:読売新聞社・読売光と愛の事業団
協賛:(株)アーチストスペース

場所の詳細は http://www.ginza.info/S61746.html


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☆ 多摩美術大学校友会 小品展2012

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大変ご無沙汰しておりますが、皆様いつもご訪問頂きありがとうございます。
本年も母校への奨学金と東日本大震災義援金とするための
上記チャリティー展に小品1点ですが出品する予定です。

お近くにお越しの際はご高覧頂きたくお知らせ致します。

詳細は下記まで。
文房堂ギャラリー http://www.bumpodo.co.jp/gallery/gallery_index.html


日に日に寒さが増しますのでどうか皆様お身体ご自愛下さい。<(_ _)>

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☆ 世界の種とベテルギウスの夢

世界の種の写真680.jpg

世界の木の実
(ツノゴマ・ブラキキトン・ミニカヌー・バンクシアの実とバンクシアの実のスライスとバンクシアのドライフラワー・スクリューナッツ・ストーンナッツ・ティカポッド・マホガニーの実・ハスの実)と愛全公園で拾った落ち葉(右上)

五年前にある縁で始まった、月に2回水彩画を描く木曜日。
午前11:00頃自宅を出て、東京神田の神保町へ向かう。
老舗画材店『文房堂』で、講座で使う水彩画用スケッチブックを受け取る。
一階の店長は今日も一分の狂いもなく訪店した私の顔を発見すると笑顔で商品を渡してくれる。
そこから徒歩5分ほどの神保町愛全公園横の千代田区高齢者センターまで歩く。
前回から講座のモチーフは世界の種。
以前、神保町の古本屋『ブックダイバー』前で購入した物で、
軽井沢のジャム屋さん(世界の木の実と雑貨小林商会)が観光客の少ないオフシーズンになると
数日間だけ古本屋前の露店で販売している。
講座のお婆ちゃん達も、地球上で最も繁栄している植物達が
子孫を残す為に見事な工夫を加えながら様々な進化をしていることに改めて驚き感心していた。
水彩画講座の終了後、いつもであれば「覆面ラーメン」へ行くのだが、
「加以」へ行き、初めて味噌ラーメンを食べる。
つけ麺を頼んだ時に出てくる真っ直ぐな麺とは全く違う、
縮れたきし麺の様な中ぐらいの太さの平たい麺に絡むとても濃厚なそのスープは、
通常の味噌ラーメンのスープとは印象がかなり異なる。
スープと言うよりパスタソースに近い。
生姜と挽肉を混ぜた小さい肉団子の様な塊を、
薬味の様に少しずつ溶かすと濃厚な味噌スープにメリハリが出る。
いつもならその後は丸ノ内線の小川町駅まで靖国通り沿いを歩き、
ブレンズCoffeeでタバコを吸いながらアイスカフェモカを飲んで、
しばらく近未来の思索に耽るのだが、
その日は二週間休みが無かったので疲れていたためか、
いつの間にか神保町駅から半蔵門線に乗車していて、大手町で丸ノ内線に乗り換え池袋へ向かう。
池袋から西武線に乗りかえ、終着が地元駅の電車を待って乗車し、
南西の風景が見える側の座席に座る。
2日前から読み出した村上春樹の小説「1Q84」の中で小説『くうきさなぎ』を書いた
少女の観ている世界をイメージしているうちに、知らないうちに眠ってしまう。

冬の満月の日、穏やかな波が打ち寄せる砂浜で完全な夜となった時間に、
私はある女性と手を繋ぎながらオリオン座を見上げていた。
私は「きっと今日届くから!」と、より強く手を握り締めてつぶやいた。
その時までどれくらいの間、空を見上げていたのかは判らないが、
どうやら首が痛くならない程度の時間であったようだ。
それから程なくして突然オリオン座ベテルギウスの明るさがどんどん増していった。
その明るさは瞬く間に満月の明るさを超えて、白夜の太陽の様な明るさになった。
しかしその光は、太陽のそれとは違い蒼白くて暖かみには欠けるものであった。
その蒼白い光が眩しくて目を開けていられなくなった時に私は目が覚めた。
気付くと西武鉄道の駅員さんが私の肩を揺らしていた。

起きたばかりの私の身体は少しだけ怠く、重い足取りで改札階までの階段を上った。
もし終着の地元駅の車内で起こされず、あのまま眠っていたら夢はどの様に続いたのだろうか?
640光年彼方からやっと届いた超新星爆発の最初の輝きを一緒に観た女性とはその後どうなったのか?
その女性の顔は夢から覚めたばかりの数秒の間は覚えていたような気がするのだが、
完全に意識が覚醒してからは、どんなに意識を集中しても記憶が蘇る事はなかった。

駅の改札を出てから歩いて七分程の自宅へ向かう途中で、
自宅マンションの同じ階に住むお母様とすれ違った。
彼女はかなりの速度で自転車を漕ぎながらも笑顔で挨拶してくれた。
その方の息子も今時珍しく、階段やエントランスですれ違うと毎回元気に挨拶してくれて、
大雪の降ったある日曜日の昼過ぎに、私が車に積もった雪を片付けていたら、
二階のベランダから「おじさん手伝おうか?」と声を掛けてくれた事があったことを思い出した。
新たな場所でも七年も住んでいると忘れてしまっている事が既に沢山あったことを
彼女の笑顔がきっかけで改めて気付かされた。
「今年の夏は自宅近くの櫟の雑木林から飛んで来るクワガタを捕まえて、
あの少年にプレゼントしてあげよう!」などと考えているうちに私は自宅にたどり着いた。
(なぜか私の部屋の玄関には毎年夏になるとクワガタやカブトムシがたくさん飛んで来るw)

冬の間しばらく姿を見せなかった左前足を怪我した野良猫の茶トランが、
夜でもないのにマンションの入り口で待っていて、
私の部屋の入り口まで足を引き摺りながら階段を上りついて来た。



2012年、ある春の木曜日の記憶から
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